この時期に思うこと

こんばんは!
 
 

もうすぐ9月ですね。夏の暑さが徐々になくなり、涼しくなりましたね。なんとなく足元が涼しく、冷たい風が気持ちいいです。

 
 
そしてこの8月の終わりが近づく日に毎年思うことがあります。
 
8月の終わりは、自ら命を絶ってしまう小中高生が多いと、最近よく聞くようになりました。
 
その原因には、色々な理由があるのだと感じます。


学校に死ぬほど行きたくない、地獄のようなあの場所には行きたくない
 
 
そういう気持ちが働くんですよね。
 
 
この季節になると、よく思い出すことがあります。
 
私にも、かつて学校が死ぬほど行きたくなかった時がありました。
中学三年生の時でした。
ある先生と出会って、私は死ぬほど学校に行きたくなかった。
 
 
 
その時は受験シーズンで、自分も進路を決めなくてはいけなかった時期です。
 
私は決して勉強が得意な生徒ではなかったですので、そんな自分にとって勉強は苦痛でした。
受験シーズンともなれば、その勉強をもっとやらなくてはいけないことと、高校に落ちたらどうしようという恐れが襲ってきてました。おそらくみんなそういう恐れはあってピリピリしていた印象です。
 
 
そんな時出会ったのが、3年になって初めて教科担当になったある先生。
 
2年の時、ちょくちょくその教科の時にサポートで顔を出されてたので、その時に話した時は結構優しい先生なのだろうと思っていました。穏やかにお話しされ、わからないところも教えてもらってたりしていました。
 
ですが、3年になってその先生がメインで担任され、私は徐々にその先生の授業が恐怖の時間となるようになりました。
 
 
その先生の初回の授業では、誰か一人が当てられて、前に出て書くということがありました。
 
私は最初に当てられ、黒板の前に立ったのですが、問題がわからなかったためその先生に、すみません、わかりませんと話しかけました。
ですが、自分で考えてくださいとだけ言われ、黒板の前に1人でずっと立っていました。
 
結局解けなかったのですが、席に戻るまでの時間が長くて、恐ろしかったです。
全クラスメイト+先生1人の視線が私一人に集中してたので…。
 
 
それからの先生の授業は私にとっては苦痛となるものでした。
 
当てられて答えを言ったら、何言ってんだお前と、真顔で、強い口調で言われることが、授業日数を重ねていく中で起こるようになりました。
 
それを言われた時、それまでガヤガヤうるさかった教室が一気にシーンとなって、凍りつくような空気が漂っていましたね。
 
また、私1人が言ったからこんな空気になった…ということに耐えられなかったですね。
 
その先生の態度は、2年の時に感じた印象とは全く逆でした。
ただ勉強が得意な子には優しく接し、私のように勉強が不得意な他のクラスメイトにも同じようなことをされていたので、ああ、そういう先生なんだと感じました。
隣の席の子がテスト返却の際『もっと勉強しろ』と強い口調で言われたために答案をグシャグシャにしていたこともあって、それを見ていたのは辛かったですね。
 
 
 
 
油断しているといつ自分に当たるかわからないので、私はその授業は気が抜けないし、何よりも苦痛でした。50分間が長くて長くて、いつ当たるかわからない恐怖感で、それこそ死ぬほど辛いという時間でした。何もなく終わった後の給食はものすごく美味しかったですが…
 
 
怒られて否定されることも恐怖でしたが、自分は気を使いながら同級生やクラスメイトと話していたような人でしたので、第一にそういう『あまり話さない人』が多い教室で、先生にそういう風に強く言われて凍りついた教室の中で『クラスメイトからどう思われるか』が一番恐怖だったんです。今思うと、同世代の人の集団の中で、悪く目立つことを恐れてたり、恥ずかしかったりという感情が強かったのだろうと思います。
 
 
人間関係なども含め、学校には行きたくないと思っていました。
 
 
ですが受験があるし、休めないし…という気持ちだったので、休むことはしませんでした。そのせいか、夜寝られなくなったり、体調崩したり、色々ありましたが…。
 
先生もクラスメイトも恐怖の対象という、私にとって学校はとても怖いところでしたね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ、あれから3、4年経つのですが、その時のことはすっかり忘れています。
 
 
個人的な意見にすぎませんが、1つ確かなんじゃないかと思うことは、今いる場所はどんな場所であれ永遠には続かないと言うことかなと思います。
今苦痛で仕方ない環境にいても、例えば、卒業したりしてその場を離れて新しい世界や新しい環境に触れていくうちに、忘れることができる時もあるのだということです。
 
 
 
今いる場所が苦痛で仕方なくても、逃げることはできないと考える人もいるかもしれません。
 
 
ですが、自分がその場にいて苦痛を感じるのなら、身を守るために逃げることは恥でもなんでもないと思います。その場所でなくても、居場所は世界中にゴロゴロ存在していますし、我慢をしていても、時間が経てばそれが気にならなくなる日がくると思います。
 
 
私はあの苦痛な経験はしてよかったとは思えませんし、あの時学校に行かないか、逃げればあのように嫌な経験はせずに済んだんだろうと思います。
 
 
ですが、私の中では過去の話になっています。
 
そう思えたのも、色々な新しい出会いがあったからだと思います。


デビューさせていただけて、尊敬する先生や、担当の方ともお会いできて、本当にありがたい出会いや、経験をさせてもらいました。
 
学校では、私は定時制高校に通っていますが、それぞれの生徒の人が理由があって来ていたり、夜なので時間も限られていて、あまりお互いに気を使うことがなくて良いなと感じています。
外国の子もいますが、価値観が違う部分もあって、すごく新しい出会いだと感じています。
 
昔のようにギスギスした雰囲気は、今はあまりありません。
 
私の場合は、海外旅行に行ったりしたことも大きいです。
言語も価値観も全く違う場所に行くことで、元いる場所の小ささと、世界の広さを感じました。
 
 
 
毎年、8月の終わりになると悲しいニュースが流れてきます。
 
登校時にもうすぐ学校に着く距離まで来ると心臓がドキドキする気持ち、教室の前で足がすくむ気持ち、学校に行かなかった時の罪悪感、めちゃくちゃよくわかります。
 
 
学校という場所を辛く感じる人が、ご自分だけでないことを伝えたくてこの記事を書きました。
 
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます!